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Posted by ミリタリーブログ  at 

2018年02月27日

下着とウインナーとオペラ

銀河英雄伝説が4月から「銀河英雄伝説 Die neue these」としてリメイク版で放送されます。
銀河英雄伝説、中学生時代に没頭して

「攻勢限界に達した敵を叩く」

「補給路を断って逃げ回る」

「意思の集中、力の集中」

「チョコレートアイスを買いに行くと館が燃える」
など、ミリタリーに興味をもつきっかけのひとつでして、原作とOVAを何度も見返してとても思い入れのある作品でした。


制作発表で堀川りょう 、 広中雅志、 佐々木望らが参加と言ことで前回の声優さんを起用しつつ…かと思いきや、まったく違った…。てか広中さんでないのか。
でも、なんとなく声が合うような気がする。
気がする。
制作I.G!
戦艦かっこいい!ちょっとバジュラぽいけど。
PVが出た!クリック!!



お、おう…
全員イケメンですね。
まあラインハルトは原作でも彫刻のような美貌とあるので分かる。

キルヒアイスは、柔和な感じがなくなってる。なんだその切れ目。くせ毛直ってるぞ。

そしてヤンお前は誰なんだ。旧作だと頭を掻きながら困り顔で瞼がいつも重そうな気だるい感じなんだけど、PVアスターテ会戦の一コマ(セリフから察するに)だけ見ると、悪い意味でちょっときりっとしている。でもキャラ紹介のヤンはなんか自信ありげで、いつも頭を掻いているイメージとかけ離れてるなーと。
PV公開後いわゆるTwitterでBL向けであるとかトリートメントかえた?とかバスケしてそうかいうコメントも見られたり、まあさもありなんという感じです。
じゃああれか、みんなストパーか?オフレッサーは?
マリネスクは?
ウィロックは?
シャフトは?

そして彼は!


軍服も変更点がみられます。
帝国軍はボタンが追加。将官級はゴールデンバウム王朝からダブルになり佐官以下(たぶん)はシングルに。装飾も将官級は肩から袖にかけて延長され佐官は両胸のものが省略され、首回りに変更点がみられます。短靴も長靴に。すごい19世紀感がましたような。将官の制服もなんか甲冑の袖っぽい。裾が出てる分全体的に逆三角形ぽさがなくなった感じがします。


同盟はジャケットとベレーの色がODからネイビーに。上衣もブルゾンみたいなのからトレンチコートのベルトから下をカットしたようなものに。袖口にも追加されます。デザイン的に同盟軍の礼服や士官学校っぽくなった感じです。同盟も短靴からミッドサイズになっています。なんか兵科章や艦隊司令記章つけにくそうです。



一体どんな感じに仕上がるのか、期待と不安を織り交ぜつつ待機中であります。ファンの期待値もとても高いと思うし、声優さんも演じるにあたってプレッシャーとかもあるんじゃないでしょうか。なにせ110話(9クール)あるんで無事に最終話を迎えてほしいものです。


ヒルダは沢城さんが合ってる気がする。
  


Posted by corgi  at 16:54Comments(0)雑談

2018年01月19日

書籍より第1野戦病院を追う

またやってしまいました。
運転は20分位が限界。横臥してます。
サバゲしたい。いつ良くなるやら


さて、ネッツサーフィンをしていて先日第10師団第4野戦病院で軍医をされていた方の本をみつけました。
実は県からもらった曾祖父は軍歴、台湾から戦死までのことは一切記載されていません。著者は第4野戦病院、曾祖父は第1野戦病院ですが、所属が違えど同じ野戦病院なので何か得られるものがあるかと思い地元の図書館で無理を押して借りてきました。アマゾンにも売ってあったのですが1万超え。ちょうど悩んでた時にダメもとで図書館の蔵書を検索してラッキーでした。


まず分かったことは、彼が沈没を経験している可能性があること。
第10師団はルソン島逆上陸前、マニラ北部のサンフェルナンドで潜水艦の攻撃にあい、輸送船乾瑞丸が沈没しています。その乾瑞丸には2団に分散した第1野戦病院の将兵も乗船していました。また傍証になるかちょっと怪しいんですが、幼いころに曾祖父は船が沈没して戦死したと祖母から聞いたことを考えるともしかしたらもしかするかもしれません。


次に第1野戦病院の場所ですが、第10師団司令部が置かれたサンタフェから南西の地獄谷と呼ばれる谷間に第4野戦病院と共に置かれたそうです。バレテ峠も含めた位置関係は下の通り(多分)。サンタフェから南に俯瞰しています。第1野戦病院のほうがバレテ峠に近く書かれていましたが激戦地のバレテ峠から直線距離で3km程です。



そしてバレテ峠からカシブまでの転進路。本から読み解くと下のようなルート(たぶん)でカシブまで転進したようです。何分当時の読み方と今の表記が違っていて(例:モンギャン→マンギア)

兵団司令部は7月8日カシブ到着。そのご糧秣をもとめさらに東のピナパガンへ転進。7月10日にはすでに先遣部隊が出発しています。また第4野戦病院本部は7月18日にはカシブを発ち東進しています。著者の図では第4野戦病院と第1野戦病院が合わせて書かれてありますので7月後半には移動したものと推定されます。

ではなぜ曾祖父の死亡日時が8月6日で場所がカシブなっているか。
ヒントになるかもと思ったのは、野戦病将兵の分配配置。著者の方も途中から殿軍として一般部隊に配属されています。そして師団司令部がカシブを発ったのは8月7日で歩兵第10連隊に至っては8月15日です。また他書からの抜粋によると8月上旬に米軍機の爆撃に加えビラを落下するようになったとあり、カシブでも攻撃に晒されていたことが分かります。
それに加えて上記で書いた7月18日の転進と戦死日の隔たり、ピナパガンまでは攻撃というよりも如何に生きて到達するかに終始した内容で砲爆撃を受けた様子は見受けられません。そのことから曾祖父は著者と同じく他部隊へ抽出され、野戦病院と分かれカシブに残留し、8月7日砲弾の頭部破片創に戦死したのだと思います。

以上のことが今回借りた本で得られた情報と可能性になります。
第10師団はルソン逆上陸以米軍に加え来飢えと病気と戦い続けました。マラリアは全員が罹患していたので病気とみなされず、風土病や赤痢に加え米は逆上陸以来口にしていないとう健康状態は最悪のまま米で軍との戦いに突入、最後までそれらの事情か改善されませんでした。それに加え転進先で抗日ゲリラの襲撃、米軍の追撃に遭います。
またバレテ峠撤退時には連れていけない負傷兵には手榴弾と弾丸一発をこめた銃が配られたそうですが、カシブからピナパガンへの道程では渡す手榴弾もなく、連れていく体力もなく歩けない者は捨て置かれたとのことです。
第4野戦病院の生存率は16.9%。

8月6日前後のカシブの様子がもっと知りたいですね。第10師団司令部の詳報とかがればいいんでしょうか。
  


Posted by corgi  at 23:08Comments(3)雑談日本陸軍

2017年07月25日

鳥取出身の軍人さん

こないだ近所のご老人が最上の乗組員でマニラ防衛戦の生還者ということが判明して「まだ当時の話を聞ける人がいる」と喜んでおります。
それと、そろそろ戦争を振り返る番組や特集記事が増えてきそうなので、先んずそれっぽいことを書いてみようかなと思います。

鳥取出身の軍人さん。これはあまり知られていない。というか有名な軍人さんは少ない。
さらに地元ではほとんど知名度はない。2015年に武蔵が発見されたときに猪本艦長がクローズアップされましたが、他にも映画になったり、「この人ががか~」って方がいます。





岡田 資(おかだ たすく)
1890年4月14日 - 1949年9月17日
最終階級:中将

陸士23期。駐英大使館付武官補佐官や秩父宮雍仁親王付侍従武官、戦車第2師団長などを経て終戦時は第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官。B級戦犯として法務死。
1945年5月14日の名古屋空襲の際に撃墜され捕虜となったB-29の搭乗員を自らの命令で処刑しとしてとしてB級戦犯として逮捕されています。このことは2008年に「明日への遺言」というタイトルで映画化されています。藤田まことさん主演で遺作です。






猪口 力平(いのぐち りきへい)
1903年10月17日 - 1983年7月13日
最終階級:大佐

猪口敏平実弟。海軍兵学校52期。1944年8月第一航空艦隊首席参謀着任。「神風特別攻撃隊」の命名者。終戦時は軍令部員。
「神風特別攻撃隊」は地元の剣術の流派「神風流(しんぷうりゅう)」から命名したとのことです。この神風流。創始者は因幡二十二士事件の実行犯の一人詫間樊六。そして猪口兄弟はその詫間の子孫だということです。




八原 博通(やはら ひろみち)
1902年10月2日-1981年5月7日
最終階級:大佐

陸士35期。陸大教官、第15軍参謀経て、第32軍の高級参謀として沖縄戦に参加。7月15日捕虜となる。
アメリカ陸軍の隊附きでアメリカに在住していて知米派であったことが沖縄戦で持久戦術の提案に至ったのだと思います。ただ軍命令であったにも関わらず、民間人に扮して脱出していた最中に捕虜になったことが、陸軍内部での評価を最悪のものにしたそうです。





福留 繁(ふくとめ しげる)
1891年2月1日 - 1971年2月6日
最終階級:中将

海兵40期。開戦時軍令部第一部長。1943年連合艦隊参謀長。パラオからダバオに移動中低気圧に遭遇しセブ島に不時着。ゲリラの捕虜となり、新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われる。解放後の事情聴取では機密文書の紛失は否定。1944年第二航空艦隊司令長官。台湾沖航空戦、フィリピン戦に参加。神風特別攻撃隊を指揮。
報連相はちゃんとしましょうの典型。奪われた新Z号作戦計画書は翻訳されて、米海軍の前線に届けられ、活用されたそうです。




猪口 敏平(いのぐち としひら)
1896年8月11日 - 1944年10月24日
最終階級:中将

海兵46期。戦艦日向分隊長、開戦時は砲術学校教頭。名取、高雄の艦長経て1944年8月戦艦武蔵第4代艦長に就任。在任のまま少将に進級。レイテ沖海戦に参加。フィリピンシブヤン海で沈没する武蔵と運命と共にする。
お墓は地元にあり、毎年夏に護衛艦が入港しますが、その際幹部は必ず墓参することが慣例になっているそうです。


他にも二二六事件の首謀者西田税などもいますが、今回は大東亜戦争を中心に簡単にまとめました。

あと十日もすれば曾祖父の命日。30を過ぎて招集され、私と同じ年で頭部砲弾破片創により戦死しています。私と同じ年…  

Posted by corgi  at 19:54Comments(0)雑談

2017年02月23日

Pencottなので?

それは日本の植栽に最もマッチする迷彩のひとつです(直訳風)

いやほんとに日本で自衛隊迷彩に伍すると迷彩だと思ってます。
ちょっと普及と自身のおさらいを兼ねて書いてみました。

PencottはイギリスのHyde Definition社が製作したデジタル迷彩でパターンは数種類の色で複雑に構成されてるのが特徴です。
いわゆる局地迷彩で4種類の配色パターン(Green zone、Bad land、Snad storm、Snow drift)があります。




日本で手に入るPencott迷彩のギアは、tactical tailor、Helokon Tex、UR-tactica、Leo Köhler、Tasmanian Tiger、karrimor SF、Rasputin、TMC、EMERSON。一時期ノーブランドのレプリカ粗悪品がありましたけどとんと見かけなくなったので駆逐された模様です。海外だとヨーロッパの装備メーカーが力をPencottをギアを作っている印象です。ブーツもPencott迷彩のものがあり全身Pencottで包むことが可能です。


私のお気に入りはペイントボール用のこのホルスター。ソーコム入れるのに丁度よくてお気に入りです。


私が初めて見たのは今はなき香港マニアのRAGでして2012年だったと思います。当時日本で買えるものは少なく、RAGに加え、tactical tailor、Helokon Tex、UR-tacticalぐらいでした。私の上下もebayで購入しました。チェストリグはチェコのMorissという製作メーカー。送られてきたんですが、片方のスリングが欠けて送られてきたり(笑)


軍隊での使用はオーストリアのCobraが使ってるようです。ポーランド軍の次期戦闘服の迷彩にも挙がってるとかないとか。


この迷彩を使ってみて、使われてみての感想としてはドットが複雑で比較的近くでも迷彩効果を発揮しやすく。日向と日陰どちらでもシルエットが浮きにくいという印象です。カーキと黄緑、ODの組み合わせが光の加減でいい塩梅になるんでしょうか。あと黒色が入ってないのも印象に残りにくい感じがします。特によく晴れた日に、緑が生い茂る日陰の場所でそう感じます。

しょっちゅう迷彩服買うわけでもないんですが、買い替えを考えてる方はこれを機にいかがでしょう?  
タグ :pencottcobra


Posted by corgi  at 17:55Comments(2)サバゲ雑談

2017年02月15日

大雪、エンジン音、窓辺にて

33年ぶりの大雪だそうです。そうなると以前のは私が1歳のときですから、あああのときはまったく知りませんよ!!

しかし酷かった。先月雪で県境の道路で200台超が立ち往生して、今回は海沿いの国道が都合250台ほど立ち往生。
行政が除雪を国道に全振りしたのはいいんですが、生活道路は酷い有様でした。
腰が痛いんだけど、それよりも除雪しないと行けない状況なので親と一緒にがんばりました。



除雪1日目に近くの真っ新なところにスケールをズボっとはめてみると110cm弱さらに下には圧雪があります。
とくにかく雪を捨てる場所がないので40mほど先にある川へスノーダンプに雪を積んで何十往復もして捨てまして、それを4時間ほどして両親の車が動かせれる状態にして終了。翌日に2時間ほど除雪して私の車が出せれるように。またお向かいさんと協力して家の前の通りを車が通れるほどに除雪しました。

そしてたばこの補給に出てみたのですが、車より歩いている人のほうが多い。車が出せなくてあきらめて徒歩で買い出しする人たちでして、2日目でも市内の道路では満足に除雪が行われていない状況でした。コンビニでも車置いてたら埋まっちゃって、帰ろうとしたら圧雪に乗り上げ立ち往生したお姉さんがいて、助けに行ったのだけどショックが伸びきった状態で人数的にも無理そうなのでそこに放置する人や、スタックしてむりやり脱出してゴムの溶けた臭いの残して去った人などちらほら・・・

これが12日の昼頃の駅前です。

3日目、これが最悪でした。気温が上がって溶けてきたで車で出かける人が多くなり、スタックが大量発生。地面がボッコボコで初めて天井に頭打ちましたわ。
4WDはまあましなんですが、FF車はほんと悲惨で、緩い轍に突っ込んで亀さん状態で詰む人続出しました。少し大きな道で手伝っていたら、すぐそばの交差点で立て続けにスタックしてその場所で5台くらい車を押してました。近くの除雪車に頼んでも「担当区域じゃない」と自分たちがやったアスファルトが見える道からターン、通りがっかた警察に交通整理をお願いしても「ほかにも起きてるみたいです」とスルー、JAFも「できない」。とくにパトカーに乗ったまま横切る警察には怒り覚えました。結局ずっとえっちらおっちらやってた見知らぬ人が救出しました。
積み上げられた雪山に車のアンダーカバーがなんか物悲しいですね(笑)

ちょっとびっくりしたのは中年男性の車を後ろに押すとき
「前から後ろに押すんでバックしてくださいね!」と言ったら
「じゃあニュートラルですね」
って返されてみんなで「いやいやいや」って突っ込んだんですが、こっちでこういう返し方初めてみました。

にしても、鳥取県は近年はがっつり降ることが少なりましたが全県豪雪地帯に指定されてまして冬は降ってもおかしくない状況になります。毎年こういう事になるなら、いつものことで対処しやすいのでしょうが、忘れたころにこれをやられると後手後手になることが多い。2011にも正月早々1000台立ち往生ってニュースがありましたし、今回のこともありますし、もう少し迅速な対応をしてもらいたいものです。

こういうときに4WDにうける恩恵は絶大でした。ランクルはいうに及ばずエクストレイルもなんなく走破してました。こんな道を高機動車ですすんだらすごい余裕なんだろうなと、ネットでメガクルーザーを・・・高い(汗)

ちなみに我が家最強の4WDはテンションマックスでした(笑)

  

Posted by corgi  at 22:51Comments(0)雑談

2017年01月26日

痛行住坐臥

痛み、相変わらずです。
そして寒波。痛みが増します。
雪かきダメ絶対。

なのでパソコンでアニメ見てます。
ガルパンはまりました。

蝶野のがハマって戦車がいっぱい出てくるアニメぐらいの認識しかなくて、「女の子が戦車ねえ」なんて食わず嫌いしてたんです。
アマゾンで1話が無料だったので試しに見てみたんですけど
1話視聴後私「あ、面白い」

無意識に2話目クリック(有料)

2話視聴g(以下略)

という感じにどっぷりつかりました。
西住殿にケンカキック(視聴無料)からのSTF(2話以降)を決められた感じです。




無名校が次々ジャイアントキルを決める姿はH2ぽいなと思いながら、こうテンポよく話が進むのでつるつると一晩で見終わりました。
いやあイイすね。細かい戦車の描写が好き。履帯の音や、木にぶつかったまま新地旋回→旋回できずに掘っていく→負荷がかかりすぎてリンクが破損なんて爆笑してしまいました。

キャラ、もといチームもそれぞれ特徴が立ってるのでこれもおもしろい。特にウサギさんチームのはじめイラっとしたんだけどその後の成長にわが娘(独身です)の思えるのって自分がおっさん化してきてるんじゃないかと錯覚させられました。
あと、のらりくらりと廃校を隠しながら西住殿に打ち明けられなかった生徒会長、西住流の看板の大きさに苦悩する西住殿、終始イラっとさせられた桃ちゃん。
あと秋山殿のミル計算が早い。


作戦も常に少数で多数と戦う都合上、分散させて数的有利を作っての各個撃や正攻法に奇策を用いる様はヤンウェンリーを連想させます。ライバル校が基本敵に多数をもって少数にあたるてのがさらにその連想を強くさせるんでしょうね。
また超兵器とか想像を絶する何かってのが出てこないのが好感を持てます。


んでそれらもさることながら、自動車部の活躍に胸が熱くなりました。凄い、というより怖い。

戦車5台を一晩で使用可能にするこに始まって、走行中のエンジンを調整、最終話にて「徹夜して自走できるように」できるetc。自動車部ってレベルじゃないと思う。改造キットだからって理由でJKが簡単にポン付けできないでしょ。
しかしこのアニメ履帯程度なら女子高生が直せる世界。その程度造作も無いことなのかもしれません。




「修理するときは先入観を捨てなければいけない」と前に言われたことがありますが、意外という言葉は先入観からも生まれるようで。
つまり「ガルパンはいいぞ」  
タグ :ガルパン


Posted by corgi  at 09:13Comments(0)雑談

2017年01月17日

その男腰痛につき

腰をやってしまいました。
椎間板ヘルニアだそうでして、非常に痛いです。
車に乗るのも辛くて、ギャップ超える度に「あイッツ…」と情けない声を出しています。


さらにパソコンまで故障したので、タブレットから書いてます。パソコン以外からは初です。
安静にしろとのことでベッドで動画視聴してます。
幸せの黄色いハンカチ、海峡、夜叉、駅Stationときて、直近で見たのは天空の蜂。

作中に空自の救難隊が出てきます。
95年という年代設定でして、そのように装備も設定されているようです。
まずヘリ。UH-1でした。当時だとUH60-Jなはずなんですが、まあそれは置いといて。隊員のヘルメット!!
pro-tecのフルカットヘルメット。
これが1番気になって、途中ヘルメットにくぎ付けでした。
このヘルメット当時救難隊に使用してんでしょうか。プロテック自体どこがいつからってのが気になるところ。ただ、LEMからフルカット用のカバーが出てますし、ある程度まとまって使用されていたとも考えることもできます。

そしてラスト!!良かったよ!感動したよ!!でも何故ヘリパイの息子はBHIのΩベスト(ホルスターのやつ)を着てたんだい?てか救難隊員も着てた?着てたでしょ、着てたよねえ?
とまあ救難隊が活躍する数少ない映画でした。  

Posted by corgi  at 21:11Comments(2)雑談

2016年12月11日

突撃ラブハート

麻生幾著「奪還」を買いました。
基本仕事とサバゲ以外のことはよそ見が激しく散財も激しくなるので、競走馬でいうメンコやブリンカーになると信じて、それ以外に集中させるため…という口実
あーサバゲしたい。サバゲしたい。

主人公のモデルはSBUの先任小隊長であった伊藤氏でして、作中にもSBU登場します。
氏がモデルということは、作中の様なこともできるということで、つまりはその映画の様な内容も、実際にできる人が日本にもいるということだから、今、こうして自家発電してる間にもそういう訓練が行われてると考えるとすごいなーとていうか、自衛隊すごいなと。
また回想のシーンでSBUのが登場するのですが、そこには極限状態の人間の姿があります。かっこいいとかじゃなくて、任務を全うしようとする葛藤人間の葛藤や訓練に訓練を重ねた精神が壊れる程の戦闘。その域の人が贔屓目にみて「やばい」状況。
鋼の殻の卵が、外圧ではなく、中圧によって壊れるっていうか、「ああ鍛えた人間でもこうなるのか」と。

しかしながら、モデルの来歴と見事にシンクロしてて、これノンフィクションじゃないかと思うくらい。
この小説では武器があまり出てきません。
はっきり覚えているだけで
ナイツ PDW


グロック19


H&K USP


AK47

アームスコー社製の自動拳銃

アームスコーのってのはM1911クローンかな。
このくらい。それよりも、色々な”やり方”が豊富です。

それ以上にすごいのは、別の話になるんですが伊藤氏をして「できる、できないの話ではなく、“ありえない話”である。」と言われる伊藤氏の父の話。読んだんですがどうやるかが分からない。フィクションの話でもなければ理解できない。だけども伊藤氏の目の前で実際に行われたことで、己を高めるとこのような事もできるのかと。

今回学んだこと。ホルスターは腰から上。  


Posted by corgi  at 20:26Comments(0)雑談

2016年11月13日

投げっぱなしジャーマンスープレックス

仕事において「ホウ・レン・ソウ」は基本なんですが、施設のトップがそれらの言葉に「事後」を付け忘れないってのに驚きを通り越して無心になっている今日此の頃。
全体のトップなんかハート様みたいなことを言いながら、まるで聞いてないようなスルーっぷりに俄然わくわくしています。


通勤途中車でTOUGH BOYを聞けばやる気満々です(半ギレ)


さて、そんな中笠井智一さんの本を買いました。笠井さんは菅野直中佐、杉田庄一少尉の話に必ず登場する10代のエースパイロット。しかも存命という。買わない手はありませんでした。


氏を簡単に紹介すると1926年(大正15年)生まれ。16歳で海軍に入り、18歳で初陣、19歳(上等飛行兵曹)で終戦を迎え復員されました。最終の所属部隊は第三四三海軍航空隊(343空、剣部隊)。上官にはドリフターズで人気沸騰中の菅野直中佐、闘魂の魂と呼ばれた杉田庄一少尉らがおられます。かつての343空で唯一生きておられるパイロットです。

当時の多くの二十歳に満たない少年がこんな毎日のように訪れる死線をくぐっていたのかと思うと今更ながら言葉には言い表せない思いがあります。

愛媛県愛南町の紫電改展示館には同町で引き上げられた紫電改が展示されています。国内では唯一かと思います。その紫電改と場所を同じく笠井さんが使用していた「ニッコリ笑えば必ず墜とす」と書かれた紫色のマフラーを見ることができます。
できるだけ早いうちに見に行きたいものです。  


Posted by corgi  at 21:01Comments(0)雑談

2016年07月06日

月要

結局ゲームを3日くらい腰が痛かったです。

まだ治ってないの再度自覚したんですけど、これいつになったら治るんだろう。
そう思いつつストレッチを毎日欠かさずしてるんですが、それくらいで体動かさないと、太りそう(実際筋肉はけっこう落ちてる)なので、暑いけど何かして体を動かそうとしてます。

今回は、坂道でどのくらい腰がきつくなるかなーと思って、鳥取城跡に登ってみました。
以前は正面から登ったんですが、今回は裏から。

今回のルートなんですが、山頂近くに行くまで城跡らしい後は見えません。厳密言うと登山道を外れて尾根を調べれば鳥取城攻め時の砦の跡が確認できるのですが、そこはちゃんとした装備とか知識が必要となるので道なりに行きます。

いい感じに暑いです。


BATESのコンバットハイカー君に頑張ってもらいます。

水に塩を少々入れたナルゲンボトルは塩を少し入れすぎて逆に喉が乾きました。

登っている途中で分岐がありまして、鳥取城の本丸へ直接行く道と秀吉の本陣を通って行く道がありまして、後者を選択。途中滝があるそうです。
選択したんですが、思いった以上に道が整備されてない。所々崩れて道が消えているのはまだ良いとして、人の足跡よりも、獣(イノシシ、シカ、クマ)の方が多くて少し不安になりました。


途中休憩、滝らしきものは一向に見当たらず、道もだんだん荒れてくる。古いスチールの空き缶も転がってる。


で谷の一番深いところまに着いて、いざ急傾斜を登ろうかとしたら、途中で道が消えてしまっている。周りを探してもそれらしき形跡がなくて、あるのはシカが駆け上がった跡だけ。恐らくこれを登ればつけるのだろうけど、自分の位置を見失ってしまいそうなので、そこで折り返しました。

なんだこれと思いながら帰ったのですが、塩分の濃い水を考えたらまあこれでよかったのかなと。帰りの自販機で買ったアクエリアスがとてもうまく感じました。終わり。
  

Posted by corgi  at 21:53Comments(2)雑談

2016年06月20日

I'll be back soon

大きな病院に見切りをつけて、セカンドオピニオンのつもりでいった個人の神経内科で処方された薬の方がバッチリ合いまして、なんとか快方に向かっています。
就職活動も再開できる勢いなので、これ幸いと体幹鍛えたり、犬の散歩でリハビリしてます。

体をとても動かしたいのだけど、どのくらいまで動かしてよいか分からず、動かしたい。
療養というのは、聞こえがいいんですが、内実無為に家で過ごすものなので、実にもったいない。
体に脂肪もつく。思考も鈍る。
早く働きたい。勤労は尊いっすよ。

サバゲも今週から行けるような感じになったと思ったら日曜を狙ったように雨ですよ。
未明に犬の散歩をしながら抑えたViolenceがうずいて空を仰いでました。



なので来週の山陰の合同ゲームはすごい楽しみです。天気が心配ですが。
個人的には狙撃がしやすい場所が多くあったので、それが草が茂ってどう変わってるか楽しみです。
以前は草が枯れていたのでギリーの効果が得られにくかったんですけど、だいぶん茂ってきているので期待できそう。

ボルトは2丁と電動が1丁。迷彩はPencottで。あとは普段どおりにしてればなんとかなると思います。自信はないです。

なんかオススメのミリタリー映画あれば教えて下さい。  

Posted by corgi  at 02:01Comments(2)雑談

2016年05月13日

強化パーツなし

えー、どうも。
この度また腰を壊しまして。高校の時に悪くしてから、度々なってて、今回こういう職についてさらに加速したようです。
MRIまで撮って異常なし。だけど、腰痛に加えて足のしびれがあって、日常の歩行にまで支障きたすので、ちょっと仕事の今後も考えねばと思ってます。これまで腰が原因で休んだのはこれが初めてではないので、会社からも何か言われるかもしれません。今はモルヒネの同じくらいの強さがある薬飲んでます。痛さ山のごとし。自分のブログ読み返しても腰を傷めたこと何回か書いてるのでもうどうにもならんかもしれんですね。ヽ(`Д´#)ノ


先日東京マルイがホビーショーで発表した製品にM40A5がありました。
ついに来たかマルイ!GJマルイ!!
ボルトのストロークも68mmとタナカのm40なみに短くなってるようです。広報の人によればストロークは短くなっても威力と精度はそのままとのこと。その他色々新機構を搭載してるようで、今夏発売。マクミランストックだと国内2番目??
うーむ正直ほしい。しかし今年は車検がある!それにボルト3本ある。冷静に考えると3本で十二分だと思う。おそらくsakiさんが買うと思うので、触らせてもらおうかと思います。

まあ恐らく発売した週のフィールドはM40A5で溢れ、翌週には電動に戻るVSRと同じ現象がおこるんじゃないかと踏んでます。


さて、5時間耐久サバゲの教訓から、APS SR-2のスコープをフロンティアオリジナルのミルドットスコープに変えてみました。

マウントリングそのままでギリギリの低さで収まったのにびっくり。麻のバーラップを巻こうと思ったんですがそのクリアランスもないくらい。あとはレティクルの調整だけでいけそうです。構えたフィーリングも良い。
これで様子見
  

Posted by corgi  at 14:04Comments(0)雑談

2015年08月20日

8月20日の記事

肉の要と書いて腰。

高校以来腰を悪くし、今仕事ではコルセットを付けての作業しています。すると腕の筋肉はついても腰回りが一向につかない。

つかないから鍛えようとコルセットを外して作業をしたら、腰を痛めて今日はお休みです。

さて、猛暑も一段落して盆の終わり、インドアフィールドに行きました。
そこは県外なのだけど、行動半径だとちょうど米子くらいという立地の良さ。加えてゲームのテンポが私は気に入ってまして、メンバーを誘っては行っているのです(ぼっちでは行かない)

前回の感想は「バリケードが増えている」に尽きます。最初に訪れた時よりも格段に数が増えていて、狙うコースが減ってる。
減ってるもんだからゲーム中に探すのが苦労しそうだったから、初めてフィールドを訪れる人にまじって説明を受けたり、早めにフィールドインしたのだけどなかなか見つけるのが難しい。かつての様な長い距離を通せるラインがない。けど、持ってる武器が武器だから通さないと活路がない。

行く度に頭を使わされる風になっているなと思いました。

他に気がついたことは…強いてあげるなら、撃つ距離が近くなったから跳弾の勢いがいいことくらい。これは前に出ていたからからかもしれないので参考にならないかもしれません。

だんだん難しくなっていくフィールドにあきることはありません。


  

Posted by corgi  at 17:00Comments(0)サバゲ雑談

2015年06月20日

変化

どうも。お久しぶりです。

仕事初めて2ヶ月が過ぎますが、だいぶ慣れてきました。
体重も正月と比べるとだいぶ落ち、筋肉も往時以上の盛り上がりでです。これまで重いので使いづらいと感じていた銃を手にとったら、とても軽い。三八式騎兵銃も軽い!


さて、私の仕事はいわゆる経験年数が物を言う職人気質な職場でありまして、怒声で叱られることも特に珍しくありません。ですが、闇雲ではなくちゃんと技術向上と安全のために真剣になっているためで、私もそれを理解しているのでへこたれることなくぶつかっていきます。職場メンバー全員今の仕事が好きでしかたない仕事○チガイみたいな人たち。仕事に向き合う姿勢についてもそれぞれ考えをもっているのですが、総じて「真剣に、真面目に」取り組むことを心がけています。そしてオフになればみんな仲が良い。たとえ私が伝説を作っても。

そんな仕事と職場が好きなわけであります。

そんな職人気質な仕事なんですが、サバゲもとい射撃もそうではないのかと思ったり。今に満足せずストイックに突き詰めて技術の向上を目指すのは、無心で刀を研ぐ姿に似ていると思います。自分を研いで研いでナマクラにならぬよう日々精進する姿は共通するものがあります。


「可能なら実行する。不可能でも断行する。」

今は上の言葉が私の仕事と趣味のテーマになっています。  

Posted by corgi  at 21:18Comments(0)雑談

2015年04月14日

老兵は未だ忘れず

統一地方選挙も一段落して、何回も聞いたそれぞれの最後のお願いも止んで静かになりました。

私は投票日当日に用事があって、期日前投票したんですが、その時に2人の老兵に出会いました。

期日前投票ってのは、投票日当日と比べて、障害者や高齢者が投票しやすいように配慮してあり、多くのそういった人たちが来ます。

その中で、大正生まれの男性と二人話しました。
まず一人目が歩行器で来たおじいさん。フガフガしたんだけど、

「出征されてたんですか?」って聞くと急にはきはきし始めた。

「わしゃ海軍だ」

「わしゃ整備のほうだ」

「一式陸攻のエンジン整備しとった」

「鹿屋や大村…えーと大分にもおった」

などなど急に饒舌になりまして、まだ話したそうな幹事だったんですが、デイサービスの人に呼ばれて帰っていきまいした。
おそらく760番台の航空隊に所属してたのだと思います。


二人目、老夫婦でした。
この人は恒例の割に若く見えて、また話し方もはきはきしていました。
聞くと、歩兵第163連隊所属だったそうで、支那で本人曰く

「敵をたくさんやっつけてきました!」(ニッコリ)

とのこと。(実際はもっと上の表現だったかもしれない)

鳥取は、徴兵区が年代によって様々でして、大抵の人は郷土部隊では九州で終戦を迎えた歩兵第40連隊、同隊出動後に創設され第二次アキャブ作戦に参加した歩兵第121連隊に所属、または松江に所在を置く歩兵第63連隊、同隊出動後に創設された前述の第163連隊に所属しています。

このおじいさん、歩兵第163連隊いたということは大陸打通作戦に参加していたことになります。

私の知っていた、二人の故人も歩兵第163連隊に所属していたのでもしかしたらご存知かと思いましたが、聞きそびれました。

さすがに戦後70年、陸士第60期でも昭和2年生まれの88歳です。一昔前なら、自分のじいさんなんかから聞けた貴重な話もなかなか聞くことが難しくなりました。寂しいものです。

  

Posted by corgi  at 21:15Comments(0)雑談

2015年03月24日

一周まわって

とりあえず、もうそろそろシーズンインとります。
そんで私はこないだの総会でサブリーダーに選出されました。
主な仕事はありません。名誉職みたいなもんです。ですが、選ばれたからには改革をしていこうかなと思ったりもしてます。

「コギノミクス」

…語呂が悪い

さて、自衛隊のなんちゃって偵察装備。だいぶ揃ってきました。あとは…ドーランと双眼鏡、図納くらいでしょうか。それとラジオポーチが大きいのでダミーのPRC-152に入れたいと思ってます。ただドラゲナイ現象で手頃な価格のはあらかた売り切れてしまってるので、再販をまつとしましょう。気持ち的には自衛隊のチェストリグは自衛隊迷彩で統一したいなとおもったんですが、






装備は




あと、偵察装備のコンパスとかGPSとかを使ってトレッキングがしてみたいですね。途中自分の位置を割り出す方法なんかも試してみたいと思います。

あと以前のブログで分からない。雑嚢みたいなやつですが、Norisuからの情報によれば、ガスマスクケースを流用してなんでも入れれるバッグのようにしているとのこと。画像は開口部がベルクロ加工ですが、他のレプリカ品を見る限りではボタン留めなので、買ったらベルクロつけて改良せにゃならんかと思ってます。  

Posted by corgi  at 22:12Comments(0)サバゲ雑談

2015年02月27日

曽祖父後日談

T.oiwake様に教えてもらった国立公文書館アジア歴史資料センターのウェブサイトで第10師団第1野戦病院のことを調べてみました。
これがなかなか見つからない。


不思議なことに陣中日誌についても、第2、第4野戦病院のものはあるのに第1だけない(第3野戦病院は欠番)
中には第10師団隷下に記載がないものもある。
ですが、師団司令部の動向を追っていくと大まかな足跡が少し分かってきました。

史料によれば、第10師団司令部は一度カシブで集結し糧秣の確保に努めようとしましたが、予想以上に少ない上に、8月2日になるとおよそ20kmまで前進してきた敵に攻撃を受け、さらなる50kmくらい東進(このころは北部にも米空挺部隊が降下)せざるを得なくなりまして、
8月7日に発って27日に到着しています。あと1日まてば曽祖父も復員できたかもしれません。結果論ですが。
しかし史料を引用すれば

「此ノ間又兵員ノ落伍損耗甚大ニシテ其ノ大部(ママ)ヲ失ツニ至レリ」

また他の史料にはピナパガン移動中に靴とゲートルが下げて置いてあって程度が良いから誰かにやると書いてあって、持ち主を見ると近くて手榴弾で自決しているってな史料も確認しました。そのことから道程の様相は推して知るべし。

第10師団が担当した区域のバレテ峠では、歩兵第63連隊が到着するまで輜重部隊を前線で戦わせるくらいだから最初から限界超えてたと思います。

話を戻しまして、師団司令部が20日経て移動したピナパガンで、第10師団は停戦となるのですが、山下はすでに19日に停戦命令を受諾していました。
そうして組織的な抵抗は終わったのですが、故小野田寛郎さんのように他の兵士も何年もゲリラとして遊撃、潜伏していたかもしれません。

記録では、
尚武集団:戦死9万7000人
振武集団:戦死9万2000人
健武集団:戦死2万8000人
となっています。

以上がこれまでに分かったことです。
今回は曽祖父の戦死日、死因がわかったことが何よりの大きな前進でした。これ以上地元にいて手がかりとなりそうなことは、あまりなさそうに思います。
あとは東京で調べるくらいでしょうか。次回行くとしたら夏になりそうです。  


Posted by corgi  at 16:31Comments(2)雑談

2015年02月22日

70年かかった。

うちの曾祖父さん。
うちといっても母親の母親の父親だから、私は血筋的にはだいぶ傍系にあたるのだけど、その人の話です。

小さいころ、母方の婆さんから曾祖父さんは陸軍で満州からフィリピンに行く途中船が攻撃されて沈んだと教えられてました。
小さいころ教えらたもんだからずっと(昨年)そう思ってて、その船の名前や沈没地点なんかを調べてました。
その途中に読んだ本が、戦後50年を記念して発刊された私家本で、大東亜戦争で出生した鳥取県出身者の名前が列挙してありました。その本ではうちの曾祖父さんはフィリピンのカシブが戦没地となっていて、婆さんの言っていたことと食い違う。
それが事の始まりでした。

色々なところに聞きました。元軍人関係に明るい人から、護国神社関係、学芸員の方などを頼りましたが、なかなか分からない。
手がかりの糸がつかめたのはベクターのメンバーずみさんの家に遊びに行った時でした。
ずみさんは艦これの提督さんの一人なんですが、昨年から提督たちや永遠の0を観た人たちが祖父や曽祖父の軍歴を調べるようになったのが話題になりましたが、彼も遅ればせながら調べていまして、その調べ方を教えてくれました。

陸軍は県が軍歴を管理しているそうです。

とりあえず、県庁の担当課に伺い、用意するものを教えてもらったんですが、私が問い合わせる場合、何分名字が違う傍系なので、曾祖父さんとのつながりを証明できるものを揃えるのが多くなるとのこと。
そこで考えたのが、大叔父(曾祖父さんの息子)に謄本を取得してもらい大叔父が照会するという形。
大叔父に相談すると快諾してもらえ、そこからは提出までスムーズに進みました。

そして昨日、大叔父がコピーを持ってきてくれました。
結果から言うと、先述の私家本のとおり、昭和20年8月6日、フィリピンのルソン島ヌエバビスカヤ州カシブにて頭部砲弾破片創により戦死とのことでした。

最終の所属部隊は第10師団(通称:鉄)第1野戦病院(通称:鉄5457部隊)

彼の軍歴を追って話しますと、補充応召で昭和18年9月10日に歩兵第121連隊(鳥取)第2機関銃中隊に2等兵として入営。同日歩兵第63連隊(松江)へ転属となっています。明治44年生まれなので、32歳での応召です。

その後、第10師団第1野戦病院に転属となり、満州へ。昭和19年の8月には台湾に移動し、その後ルソン島へ転進します。
そして尚武集団の一人としてルソン島の防衛に当たります。ルソン島の戦いでは、激戦と言われたバレテ峠での戦闘も体験したのではないでしょうか。

最期の地となるカシブ盆地ですが、そこは第10師団の集結地になっていました。
その他部隊の動向はよく分かりませんが、8月6日には砲撃されたということは確実です。しかし、歩兵第63連隊の生き残りも5日にはピナパガンへ到着している。輜重部隊でさえ7月14にはカシブを出発していることを考えると腑に落ちない。後続の部隊を待っていたのか、それとも残らざるをえなかったのか。どちらにしろ、そのときの野戦病院がどこまで機能していたか分かりません。何しろ末期は兵力20%程度で実質壊滅状態で統制も取れない状態で糧秣も現地で確保するくらいですから。

30歳を過ぎて補充兵として応召され、熱帯性の気候の中、最初から物資が欠乏したまま激戦を続けた曽祖父。
仮に第121連隊にいたとしても、第2次アキャブ作戦でビルマに散っていたかもしないのも誠に皮肉なことです。

今回、曽祖父の子息は最期が分かってよかったと喜んでくれていました。
私も長年の謎が解けてよかったと思います。
できれば、第1野戦病院または第10師団の陣中日誌などを探して、より詳細に知りたいと思っています。

ご存じ方がいらっしゃれば教えていただけると幸いです。

  


Posted by corgi  at 03:28Comments(3)雑談

2015年01月31日

近況

どうも、実は最近仕事を辞めました。
キャッハウフフで挑んだ今回の職場、蓋を開けてみれば、女性の裏面をモロに見てしまって、闇夜で強烈なライトをくらった様になってしまい、現在体調不良が続いてたんです。まあ期限付きの仕事で残り2ヶ月ありましたが、、体調とかも考えると1年やれば十分かなと思い退職しました。

もう毎日展開される戦国時代のような様相を毎日見るのには疲れました。見るに耐えぬし聞くに耐えぬ話はたり前でして、なにか極秘裏にストレス負荷をかけられて試されているのではないかと邪推しました。

そういえばエヴァンゲリオンで加持さんがこう言っていた。

「“彼女”とは“遥か彼方の女”と書く。
女性とは向こう岸の存在だよ、我々にとってはね」

今回のことから私が得られた教訓は「嫐る」「姦しい」は実在する、です。これ体調治るんかな?


さて、サバゲに目を向ければ、先週隣の県でしてきました。
招待のメールが長くて、不安を覚えたのだけど、ゲームはそれ以上に不安でした。

隣の県は、「公の使わなくなった施設をサバゲフィールドとして活用する」ことを試みているようでして、私もそのテストに参加したのは2度目になります。
前回は、フィールドもインドアで範囲が狭かったので、運営的には何も問題はないと思いましたが、今回はガバガバだった。
でっかい公園に3箇所予定地を設けてしたのだけど、最初のフィールドは、セーフティが分からない。フィールドらしきところを一周して、元の場所に戻ったらそこがセーフティだった。しかもそれから、運営が来てフィールドの説明ということで先ほどの道をもっかい行くんだから、その時点でけっこう体力を使ってしまった。ち、いうのも、事前に知らされたのはざっくりした場所だけで、所要時間やフラッグの位置、ゲームの進行については、プロレスで例えるなら、トップロープから場外への投げっぱなしジャーマンのような感じです。

次の場所はさらなる磨きがかかっていた。移動手段は車。ボランティアだが、公園のスタッフだかが軽トラを出してくれて、それに荷物を載せ、移動するのだけど、最初徒歩で行こうとしたら、途中参加者の車が止まって
「行くまで長いから車で行ったほうがいいですよ」とのこと。
着いて、肝心のゲームなんだけど、お互いそこでは初めてのゲームするチームなのでフラッグ探しから初める始末。
帰りは多くの人がとぼとぼと上り坂を歩いているのをみて、麦と兵隊が頭に流れてきたり。


最後のフィールドは意外と楽しめた気がします。というのも最後の方になると、相手チーム(シャッフルなはずなのにずっと毎回相手だった)と仲良くなり和気あいあいとゲームしていたからで、特段フィールドがどうこうというものじゃありません。

運営が把握していないことが多すぎて、こっちで自主的にやらないといけないことが多くありました。
各フィールドにいるスタッフも聞いても、企画者じゃないから分からないという言葉が返ってきたり、せめてトランシーバーで各フィールドの状態を把握して調整して欲しかった。3箇所が独立してやっているから、噛み合わない部分が多分にありました。

あと、空いている土地をフィールドとして使用するのは、場所ができてこちらにとってはありがたいのだけれど、これってもしフィールドとしてオープンしたら、一般客もくる訳で。そうなるとトイレや喫煙施設、更衣室もフィールドの近くに作らないといけないのではないかなと思います。レジャーや行楽してて、迷彩服がうろちょろしているのもどうかと思うし、喫煙するのに毎回着替えて喫煙所にいくというのもかなり億劫なものがあります。
帰りにアンケートを言われたけど、ここでも省くくらい色々ありすぎてざっと思い浮かんだのはこんなとこです。

しかし、企画者の方っていうのはすごいなあと思います。聞いてみれば香川から来られた方もいたりして、その日は120人集まったんです。また、この企画を一人で進めるっていうのは結構しんどかったんじゃないかとお察しします。お疲れ様でした。  

Posted by corgi  at 00:02Comments(0)サバゲ雑談

2015年01月02日

明けましておめでとうございます

なんか検索で毎回「自衛隊 筋肉」って浮上するでんすが同一の人ですかね?


  

Posted by corgi  at 20:41Comments(2)雑談