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Posted by ミリタリーブログ  at 

2018年01月28日

1月27日の記事

何丁も持っていればメンテしてない銃もできてますよね。
前は買った銃はずっともっとく主義だったのですが、使わんし、ほかに要る人がいるなら使ってもらったほうが良いと思い放出してます。
使わなくなるのになぜ買うのか。


それでも最近また使用する頻度が少なくなった銃は少なくなったんですが、どうしても持っておきたい銃もあったり。
それがM14でございます。

買ったのは2012年。厳密にいうならM14SOCOM、中古で〇ァーストのカスタムが施されているとのことでヤフオクで落札、ゲームで使おうと思ったらいきなりタペットプレートが折れてました。(運送屋のセンターで受け取ってそのままフィールドへ行ったのでそれまでの動作確認なし)当初はこんなぶっといサイレンサーつけてました。

そして千葉遠征時にトップカバーレイルを取り外してM14カバーをもらい軽量化し塗装、私の銃の中で唯一千葉で戦果のあるものとなりました。
所詮おもちゃといわれればそれまでですが、この銃の存在自体が思い出でして、今回初速も0.28gで70m/sと下がってきたのを機にとりあえず全部ばらしてみました。

ぶっちゃけ電動ガンを全部ばらすなんて相当久しぶりなのとテイクダウンできるものとは違うので、メカボまでたどりつくまでかなり難儀に感じました。なのに意外とメカボはシンプル。ささっとパーツクリーナーでギアを洗って再グリスアップして、スプリングも換えます。…ありあわせのスプリングでも…かまへんか。
メカボを閉じるのは・・・相変わらず苦手です。

そんでチャンバーも分解してパッキンもPDIに交換。クッションゴムにもフラットホップになるようテンショナーを咬ませます。


で最後まで組み終わり初速を計測!

パスン…65m/s
念のためもう一発。パスン…66m/s。
なんでだ。しかもトリガーのキレが前より悪い。

とりあえず変更した箇所が原因なんだろうけど、自信がないので頼れる同志に相談し、もっかい全部バラし。とりあえずスプリングを以前に戻してかさ上げします。それでもう一度計測。…変わらない。テンショナーを外してみる。79m/s!
どうも原因はこれだったようです。他のチャンバーでは試していないのですが、M14のものだと相性がよくなかったのだと思います。もし付けるならなんらかの加工が必要かと。

そしてやっとこさでくみ上げ試射をしようと思った矢先ホップダイヤルの棒が折れたのでした。  

Posted by corgi  at 19:59Comments(0)about my gun

2018年01月23日

せつなさ炸裂

Twitterのタグでまわってきたのだけど、今年はセンチメンタルグラフィティ20年。
忘れもしない20年前、恋愛シミュレーションゲーム隆盛の時期にゲーム発売と共にバブルが崩壊した稀有なゲームである。詳しくはwikipediaを見てもらうとして、OPは暗黒太極拳と呼ばれ、1の主人公は2では死んでいた(OPが葬式でヒロインたちが一堂に会するという斜め上)。また長期休暇に全国12都市のヒロインたちに合わせるため予定をガンガンにつめ現地では季節を問わず野宿させ、1週間家に帰らせず、始業式は当日ではなく3日後に登校させブラック企業経営者の片りんを見せたユーザーもいるかと思います。


さてGスペック壊れました。
下半身がだめだけど、上半身が元気なので久しぶりにVSRを手に取ってカチャカチャしてるとアウターがぐらつく。しばらく原因を探ってたらチャンバーのチャンバーブロックをつなぐねじ穴が逝きました。年末にすこし撃った時に給弾しなかったり、二重装填になったり少し怪しいなと思ってたんですがついに。


とりあえずパッキン洗浄、インナー内部も掃除して、マルイにパッキンを注文。1週間ほどでチャンバーが到着して組んだのですが、チャンバーのねじ穴の固いのなんの。精密ドライバーで最後まで入りきらない。プライヤー使ってドライバーを回してなんとかチャンバーを組みアウターに入れ、久しぶりにバラバラだったVSRが組めるぞと思いつつチャンバーブロックを固定しようk・・・固い。なんでなんだ。

普段ならすぐ組めるものに何倍もの時間と力を込めて組んだVSR。
試射をしてみると、前よりも弾道が以前よりもスッっ伸びていきます。正確に比べたわけではないけれど。

今回メンテして以前よりもしっくりくるようになってきました。早く治して駆け回りたいですね。

  

Posted by corgi  at 22:47Comments(3)about my gun

2018年01月19日

書籍より第1野戦病院を追う

またやってしまいました。
運転は20分位が限界。横臥してます。
サバゲしたい。いつ良くなるやら


さて、ネッツサーフィンをしていて先日第10師団第4野戦病院で軍医をされていた方の本をみつけました。
実は県からもらった曾祖父は軍歴、台湾から戦死までのことは一切記載されていません。著者は第4野戦病院、曾祖父は第1野戦病院ですが、所属が違えど同じ野戦病院なので何か得られるものがあるかと思い地元の図書館で無理を押して借りてきました。アマゾンにも売ってあったのですが1万超え。ちょうど悩んでた時にダメもとで図書館の蔵書を検索してラッキーでした。


まず分かったことは、彼が沈没を経験している可能性があること。
第10師団はルソン島逆上陸前、マニラ北部のサンフェルナンドで潜水艦の攻撃にあい、輸送船乾瑞丸が沈没しています。その乾瑞丸には2団に分散した第1野戦病院の将兵も乗船していました。また傍証になるかちょっと怪しいんですが、幼いころに曾祖父は船が沈没して戦死したと祖母から聞いたことを考えるともしかしたらもしかするかもしれません。


次に第1野戦病院の場所ですが、第10師団司令部が置かれたサンタフェから南西の地獄谷と呼ばれる谷間に第4野戦病院と共に置かれたそうです。バレテ峠も含めた位置関係は下の通り(多分)。サンタフェから南に俯瞰しています。第1野戦病院のほうがバレテ峠に近く書かれていましたが激戦地のバレテ峠から直線距離で3km程です。



そしてバレテ峠からカシブまでの転進路。本から読み解くと下のようなルート(たぶん)でカシブまで転進したようです。何分当時の読み方と今の表記が違っていて(例:モンギャン→マンギア)

兵団司令部は7月8日カシブ到着。そのご糧秣をもとめさらに東のピナパガンへ転進。7月10日にはすでに先遣部隊が出発しています。また第4野戦病院本部は7月18日にはカシブを発ち東進しています。著者の図では第4野戦病院と第1野戦病院が合わせて書かれてありますので7月後半には移動したものと推定されます。

ではなぜ曾祖父の死亡日時が8月6日で場所がカシブなっているか。
ヒントになるかもと思ったのは、野戦病将兵の分配配置。著者の方も途中から殿軍として一般部隊に配属されています。そして師団司令部がカシブを発ったのは8月7日で歩兵第10連隊に至っては8月15日です。また他書からの抜粋によると8月上旬に米軍機の爆撃に加えビラを落下するようになったとあり、カシブでも攻撃に晒されていたことが分かります。
それに加えて上記で書いた7月18日の転進と戦死日の隔たり、ピナパガンまでは攻撃というよりも如何に生きて到達するかに終始した内容で砲爆撃を受けた様子は見受けられません。そのことから曾祖父は著者と同じく他部隊へ抽出され、野戦病院と分かれカシブに残留し、8月7日砲弾の頭部破片創に戦死したのだと思います。

以上のことが今回借りた本で得られた情報と可能性になります。
第10師団はルソン逆上陸以米軍に加え来飢えと病気と戦い続けました。マラリアは全員が罹患していたので病気とみなされず、風土病や赤痢に加え米は逆上陸以来口にしていないとう健康状態は最悪のまま米で軍との戦いに突入、最後までそれらの事情か改善されませんでした。それに加え転進先で抗日ゲリラの襲撃、米軍の追撃に遭います。
またバレテ峠撤退時には連れていけない負傷兵には手榴弾と弾丸一発をこめた銃が配られたそうですが、カシブからピナパガンへの道程では渡す手榴弾もなく、連れていく体力もなく歩けない者は捨て置かれたとのことです。
第4野戦病院の生存率は16.9%。

8月6日前後のカシブの様子がもっと知りたいですね。第10師団司令部の詳報とかがればいいんでしょうか。
  


Posted by corgi  at 23:08Comments(3)雑談日本陸軍