2017年07月25日
鳥取出身の軍人さん
こないだ近所のご老人が最上の乗組員でマニラ防衛戦の生還者ということが判明して「まだ当時の話を聞ける人がいる」と喜んでおります。
それと、そろそろ戦争を振り返る番組や特集記事が増えてきそうなので、先んずそれっぽいことを書いてみようかなと思います。
鳥取出身の軍人さん。これはあまり知られていない。というか有名な軍人さんは少ない。
さらに地元ではほとんど知名度はない。2015年に武蔵が発見されたときに猪本艦長がクローズアップされましたが、他にも映画になったり、「この人ががか~」って方がいます。
岡田 資(おかだ たすく)
1890年4月14日 - 1949年9月17日
最終階級:中将
陸士23期。駐英大使館付武官補佐官や秩父宮雍仁親王付侍従武官、戦車第2師団長などを経て終戦時は第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官。B級戦犯として法務死。
1945年5月14日の名古屋空襲の際に撃墜され捕虜となったB-29の搭乗員を自らの命令で処刑しとしてとしてB級戦犯として逮捕されています。このことは2008年に「明日への遺言」というタイトルで映画化されています。藤田まことさん主演で遺作です。
猪口 力平(いのぐち りきへい)
1903年10月17日 - 1983年7月13日
最終階級:大佐
猪口敏平実弟。海軍兵学校52期。1944年8月第一航空艦隊首席参謀着任。「神風特別攻撃隊」の命名者。終戦時は軍令部員。
「神風特別攻撃隊」は地元の剣術の流派「神風流(しんぷうりゅう)」から命名したとのことです。この神風流。創始者は因幡二十二士事件の実行犯の一人詫間樊六。そして猪口兄弟はその詫間の子孫だということです。
八原 博通(やはら ひろみち)
1902年10月2日-1981年5月7日
最終階級:大佐
陸士35期。陸大教官、第15軍参謀経て、第32軍の高級参謀として沖縄戦に参加。7月15日捕虜となる。
アメリカ陸軍の隊附きでアメリカに在住していて知米派であったことが沖縄戦で持久戦術の提案に至ったのだと思います。ただ軍命令であったにも関わらず、民間人に扮して脱出していた最中に捕虜になったことが、陸軍内部での評価を最悪のものにしたそうです。
福留 繁(ふくとめ しげる)
1891年2月1日 - 1971年2月6日
最終階級:中将
海兵40期。開戦時軍令部第一部長。1943年連合艦隊参謀長。パラオからダバオに移動中低気圧に遭遇しセブ島に不時着。ゲリラの捕虜となり、新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われる。解放後の事情聴取では機密文書の紛失は否定。1944年第二航空艦隊司令長官。台湾沖航空戦、フィリピン戦に参加。神風特別攻撃隊を指揮。
報連相はちゃんとしましょうの典型。奪われた新Z号作戦計画書は翻訳されて、米海軍の前線に届けられ、活用されたそうです。
猪口 敏平(いのぐち としひら)
1896年8月11日 - 1944年10月24日
最終階級:中将
海兵46期。戦艦日向分隊長、開戦時は砲術学校教頭。名取、高雄の艦長経て1944年8月戦艦武蔵第4代艦長に就任。在任のまま少将に進級。レイテ沖海戦に参加。フィリピンシブヤン海で沈没する武蔵と運命と共にする。
お墓は地元にあり、毎年夏に護衛艦が入港しますが、その際幹部は必ず墓参することが慣例になっているそうです。
他にも二二六事件の首謀者西田税などもいますが、今回は大東亜戦争を中心に簡単にまとめました。
あと十日もすれば曾祖父の命日。30を過ぎて招集され、私と同じ年で頭部砲弾破片創により戦死しています。私と同じ年…
それと、そろそろ戦争を振り返る番組や特集記事が増えてきそうなので、先んずそれっぽいことを書いてみようかなと思います。
鳥取出身の軍人さん。これはあまり知られていない。というか有名な軍人さんは少ない。
さらに地元ではほとんど知名度はない。2015年に武蔵が発見されたときに猪本艦長がクローズアップされましたが、他にも映画になったり、「この人ががか~」って方がいます。
岡田 資(おかだ たすく)
1890年4月14日 - 1949年9月17日
最終階級:中将
陸士23期。駐英大使館付武官補佐官や秩父宮雍仁親王付侍従武官、戦車第2師団長などを経て終戦時は第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官。B級戦犯として法務死。
1945年5月14日の名古屋空襲の際に撃墜され捕虜となったB-29の搭乗員を自らの命令で処刑しとしてとしてB級戦犯として逮捕されています。このことは2008年に「明日への遺言」というタイトルで映画化されています。藤田まことさん主演で遺作です。
猪口 力平(いのぐち りきへい)
1903年10月17日 - 1983年7月13日
最終階級:大佐
猪口敏平実弟。海軍兵学校52期。1944年8月第一航空艦隊首席参謀着任。「神風特別攻撃隊」の命名者。終戦時は軍令部員。
「神風特別攻撃隊」は地元の剣術の流派「神風流(しんぷうりゅう)」から命名したとのことです。この神風流。創始者は因幡二十二士事件の実行犯の一人詫間樊六。そして猪口兄弟はその詫間の子孫だということです。
八原 博通(やはら ひろみち)
1902年10月2日-1981年5月7日
最終階級:大佐
陸士35期。陸大教官、第15軍参謀経て、第32軍の高級参謀として沖縄戦に参加。7月15日捕虜となる。
アメリカ陸軍の隊附きでアメリカに在住していて知米派であったことが沖縄戦で持久戦術の提案に至ったのだと思います。ただ軍命令であったにも関わらず、民間人に扮して脱出していた最中に捕虜になったことが、陸軍内部での評価を最悪のものにしたそうです。
福留 繁(ふくとめ しげる)
1891年2月1日 - 1971年2月6日
最終階級:中将
海兵40期。開戦時軍令部第一部長。1943年連合艦隊参謀長。パラオからダバオに移動中低気圧に遭遇しセブ島に不時着。ゲリラの捕虜となり、新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われる。解放後の事情聴取では機密文書の紛失は否定。1944年第二航空艦隊司令長官。台湾沖航空戦、フィリピン戦に参加。神風特別攻撃隊を指揮。
報連相はちゃんとしましょうの典型。奪われた新Z号作戦計画書は翻訳されて、米海軍の前線に届けられ、活用されたそうです。
猪口 敏平(いのぐち としひら)
1896年8月11日 - 1944年10月24日
最終階級:中将
海兵46期。戦艦日向分隊長、開戦時は砲術学校教頭。名取、高雄の艦長経て1944年8月戦艦武蔵第4代艦長に就任。在任のまま少将に進級。レイテ沖海戦に参加。フィリピンシブヤン海で沈没する武蔵と運命と共にする。
お墓は地元にあり、毎年夏に護衛艦が入港しますが、その際幹部は必ず墓参することが慣例になっているそうです。
他にも二二六事件の首謀者西田税などもいますが、今回は大東亜戦争を中心に簡単にまとめました。
あと十日もすれば曾祖父の命日。30を過ぎて招集され、私と同じ年で頭部砲弾破片創により戦死しています。私と同じ年…