2014年04月20日
獣神バックブリーカー
私の誕生日の前日に親しい御老人が逝かれました。
その人は特攻要員で、出撃直前に事故で怪我をしてしまい、出撃せぬまま終戦を迎えたそうで、一緒に出撃できなかったのを最近も悔やんでおられるのを聞きました。逝去後に聞けば、私が聞いていた以上に波乱な方で、率先垂範を好み、思えばとても豪快な方でありました。
さて、今回のネタはそのことではなくて、山に登った話です。
職場の部長の趣味がハイキングで、新年度に入った職員の親睦にということで、催されました。
私も新入りの部類なので参加しました。まあ興味もありましたし。
当日職場に集合し、2台の車で移動。
ハイキングに何を着て行ったら分からなかったんで、デザートDPMとマルチカムのハット、適当なリュックがなかったので海兵隊のアサルトパック持ってきたら、自分ではそうでもなかったんですが、他の人にはそうでもあったようです。
出発して1時間半くらいで現地へ到着。
今回登るのは、後醍醐天皇の行宮も設けられた由緒ある山、船上山です。詳しくはこちら
麓の少年自然の家は八重桜の咲くきれいな場所でした。そこから頂上を目指します。
「今回はこの道とこの道行って、帰りはこうやから」と地図で説明
最初緩やかな道が続いたのので、このままなら余裕だなと思ってたら、急に獣道みたいなのを指して
「じゃあここいこか」と。
どうみても登山です。ありがとうございました。
道幅がとても狭く、途中から急峻になってて私は腰に来ました。グッと急に鈍重になって、足にもくる。筋トレ不足とかそういうのでない痛みに襲われました。でも横道と呼ばれる岩壁に沿った道には遠い。ギブアップにはまだ早いし、言いづらい。したがって登るしかない。
まあ写真撮る余裕があるからまだ行けると思い頑張りました。
野焼きされてるから、ナパーム弾で焼き払われた戦場を行くような感じです。
そして横道に到着して、西に進むと男滝、女滝という2つの滝がありまして、女滝に到着。
もう半分は投げやりになっているので、着衣のまま滝行しましたよ。まあ滝行と言うほど水量はありませんでしたし大丈夫です。ある程度濡れても大丈夫だというのは予備自補の時の大隊長が4時間歩けば服は乾くと言われたから大丈夫です。
できた道を戻り部長がまた「ここです」とか崖を指さす。
どうみても崖です。こんどは通った跡すらありません。本当にありがとうございました。
ひたすら礫(れき)を登っていく。傾斜は先程の道の比じゃあありません。勾配はきつい上に礫は崩れやすく、掴むところから崩れる。ハイキングの定義付けを少々確認したくなりました。
腰も悲鳴、足も悲鳴、おまけに目線も水平以上にあげるとしんどいからずっと前の人のかかとを見て上がりました。自分の体を情けなく思っていたら脳裏に茶魔が浮かんできました。
半分くらい登るとロープが出てきて、腕力に助けられてなんとか登り切ることができました。
登ると台地のようになっていて広かったです。タイミングよく12時を少しすぎた頃だったのでお昼に。まだ青々した緑ではないのでマルチカムがよく似合います。
で頂上は中世の山岳霊場跡が残っており、個人的には一番楽しめた場所でした。行宮跡と言われている奥宮は一本道ですが、左右は土居のように高く上は削平されていて、これが比較的良好な感じで残ってるんですよ。一つ一つ建物がが独立して建っていたことが容易に想像出来ました。私一人が石垣を見たり、寺坊跡をみてはしゃいでいました。
それから昼ごはんを食べた場所に戻り、今度は千丈のぞきへ。
ぶっちゃけ足が竦みました。
部長はそこに生えてる松に掴まって下を覗いてたりしたんですが、私は着いただけでお腹一杯でした。
でも、そこを目指してロッククライミングしてる年配の方がいて、平気な人はほんと平気なんだなあと感心したり。
そしてここを下れば、帰路に続いてるかと思ったら、そうでなくて、またお昼の場所に戻り…。
そこから今度は東坂コースを下るんですが、これがまた行きと比べ物にないくらい緩やかで、特筆することがないくらい。腰にも優しい!足にも!首にも!!…うん、普通。行きは2時間以上かかったのに帰りは40分程度でした。
帰りに行きの道を見ることができましたが、ナムか太平洋戦線のリエナクトできそうですね。
帰りしな部長の提案で温泉に。変態仮面のようなポーズして爽快な気分になれました。
おかげで翌日は昼間でぐっすりでした。
おわり
その人は特攻要員で、出撃直前に事故で怪我をしてしまい、出撃せぬまま終戦を迎えたそうで、一緒に出撃できなかったのを最近も悔やんでおられるのを聞きました。逝去後に聞けば、私が聞いていた以上に波乱な方で、率先垂範を好み、思えばとても豪快な方でありました。
さて、今回のネタはそのことではなくて、山に登った話です。
職場の部長の趣味がハイキングで、新年度に入った職員の親睦にということで、催されました。
私も新入りの部類なので参加しました。まあ興味もありましたし。
当日職場に集合し、2台の車で移動。
ハイキングに何を着て行ったら分からなかったんで、デザートDPMとマルチカムのハット、適当なリュックがなかったので海兵隊のアサルトパック持ってきたら、自分ではそうでもなかったんですが、他の人にはそうでもあったようです。
出発して1時間半くらいで現地へ到着。
今回登るのは、後醍醐天皇の行宮も設けられた由緒ある山、船上山です。詳しくはこちら
麓の少年自然の家は八重桜の咲くきれいな場所でした。そこから頂上を目指します。
「今回はこの道とこの道行って、帰りはこうやから」と地図で説明
最初緩やかな道が続いたのので、このままなら余裕だなと思ってたら、急に獣道みたいなのを指して
「じゃあここいこか」と。
どうみても登山です。ありがとうございました。
道幅がとても狭く、途中から急峻になってて私は腰に来ました。グッと急に鈍重になって、足にもくる。筋トレ不足とかそういうのでない痛みに襲われました。でも横道と呼ばれる岩壁に沿った道には遠い。ギブアップにはまだ早いし、言いづらい。したがって登るしかない。
まあ写真撮る余裕があるからまだ行けると思い頑張りました。
野焼きされてるから、ナパーム弾で焼き払われた戦場を行くような感じです。
そして横道に到着して、西に進むと男滝、女滝という2つの滝がありまして、女滝に到着。
もう半分は投げやりになっているので、着衣のまま滝行しましたよ。まあ滝行と言うほど水量はありませんでしたし大丈夫です。ある程度濡れても大丈夫だというのは予備自補の時の大隊長が4時間歩けば服は乾くと言われたから大丈夫です。
できた道を戻り部長がまた「ここです」とか崖を指さす。
どうみても崖です。こんどは通った跡すらありません。本当にありがとうございました。
ひたすら礫(れき)を登っていく。傾斜は先程の道の比じゃあありません。勾配はきつい上に礫は崩れやすく、掴むところから崩れる。ハイキングの定義付けを少々確認したくなりました。
腰も悲鳴、足も悲鳴、おまけに目線も水平以上にあげるとしんどいからずっと前の人のかかとを見て上がりました。自分の体を情けなく思っていたら脳裏に茶魔が浮かんできました。
半分くらい登るとロープが出てきて、腕力に助けられてなんとか登り切ることができました。
登ると台地のようになっていて広かったです。タイミングよく12時を少しすぎた頃だったのでお昼に。まだ青々した緑ではないのでマルチカムがよく似合います。
で頂上は中世の山岳霊場跡が残っており、個人的には一番楽しめた場所でした。行宮跡と言われている奥宮は一本道ですが、左右は土居のように高く上は削平されていて、これが比較的良好な感じで残ってるんですよ。一つ一つ建物がが独立して建っていたことが容易に想像出来ました。私一人が石垣を見たり、寺坊跡をみてはしゃいでいました。
それから昼ごはんを食べた場所に戻り、今度は千丈のぞきへ。
ぶっちゃけ足が竦みました。
部長はそこに生えてる松に掴まって下を覗いてたりしたんですが、私は着いただけでお腹一杯でした。
でも、そこを目指してロッククライミングしてる年配の方がいて、平気な人はほんと平気なんだなあと感心したり。
そしてここを下れば、帰路に続いてるかと思ったら、そうでなくて、またお昼の場所に戻り…。
そこから今度は東坂コースを下るんですが、これがまた行きと比べ物にないくらい緩やかで、特筆することがないくらい。腰にも優しい!足にも!首にも!!…うん、普通。行きは2時間以上かかったのに帰りは40分程度でした。
帰りに行きの道を見ることができましたが、ナムか太平洋戦線のリエナクトできそうですね。
帰りしな部長の提案で温泉に。変態仮面のようなポーズして爽快な気分になれました。
おかげで翌日は昼間でぐっすりでした。
おわり