2014年03月21日

池田慶徳個人観

こないだ先輩に書類に貼るための紙渡そうとしたら、左はしのほうに“皆殺し”と書いてあってあわてて印刷し直しました。すべて武丸のせい。
池田慶徳個人観

以前ブログでもあげましたが、私は地元の自主製作映画に出演させてもらってるんですが、そのエピソード3で池田慶徳役を熱望したらそれが受け入れられまして、今回の主役となりました。
池田慶徳個人観

まずは人となりとかを知っといたほうがいいと思いまして、色々資料を漁りましたが、斉昭の子供は、私がちゃんと調べてないのもあるんでしょうが、嫡子の慶篤と最後の将軍慶喜以外はあまり人となりを表すようなエピソードがない。ただ慶喜とは3か月違いの異母兄弟なので何かと慶喜の人柄を現すエピソードに度々登場します。

その中でも面白いのが、慶徳(幼名:五郎麿)と慶喜(幼名:七郎麿)が弓矢の的中てゲームで遊んでいた時のエピソードが面白い。以下引用となります。
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五郎麿が「私のほうが命中率が高い」と自慢すると、七郎磨はすかさずいい返した。
 「兄者は人形の全身を狙っておるのだから、よく当たって当然じゃ。私は人形の頭しか狙っていない」
 「それなら全身を的にしてみよ」と五郎麿がいい返す。
 「いかにも」
 そして七郎麿は全射適中させてみせた、とある。
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引用元

これと他のエピソードも含め基本的には幼少の頃から、いわゆる「水戸の三ぽい」の要素を多分に含んだ性格であると思われます。

戊辰戦争まで尊皇の有力藩であったのですが、戊辰手前に藩論を纏めきれず一気に影が薄くなります。ですが、賞典禄の石高は佐賀藩よりも多く、斉昭の子供中ではトップ(おそらく)となります。そして跡継ぎはなぜか戊辰戦争で敵対した弟慶喜の五男。

けっこう血統的良いし、色々と京都で活動してたんですが知名度はイマイチ。そんで監督曰く「決断力がなくて、風見鶏で、肝心なときにノイローゼになって、どうしようもない慶徳像」らしいので、まあ私がそのイメージを崩せたら…できるかしら。






Posted by corgi  at 21:09 │Comments(0)

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